綾鷹物語

上林春松本店の章

第四話

上林、茶の天下をとる

宇治の茶師、家康を救う

徳川家康肖像画(大阪城天守閣蔵)

織田信長、豊臣秀吉とさまざまな関わりがあった上林家は、徳川家康とも深い結びつきがありました。今からちょうど430年前の天正10年(1582年)6月、信長が討たれた「本能寺の変」に際しても、家康と上林家の興味深い逸話が残されています。

現在の大阪にあった商業都市、堺に見物のために滞在していた家康のもとに本能寺での変報が届くと、家康は明智光秀勢の攻撃から逃れるために堺を後にします。その時、木津川堤藪(やぶ)の渡し(現在の京都府木津川市山城町鳥居付近)から信楽(しがらき)へ家康の道案内役を務めたのが、初代上林春松の兄である上林久茂(ひさもち)ら宇治の茶師たちでした。家康は久茂らの貢献により、信楽から伊勢を通り、無事に三河に戻ることができました。この時の上林家の功績がきっかけとなり、それ以降、上林家と家康は親交を深めていくことになります。

茶筅(ちゃせん)を旗印にして戦いへ

上林竹庵像(宇治・上林記念館蔵)

その上林久茂と初代上林春松の弟にあたる上林竹庵(ちくあん)は、仕官の道を選び徳川家康に仕えており、三河の土呂(とろ)郷(現在の愛知県岡崎市)の知行権を与えられていました。しかし、しばらくして竹庵は宇治に戻り、茶道を志し、茶の湯を利休から学んでいました。

竹庵が宇治に戻った後の慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの前哨戦となる「伏見城の戦い」が起こります。この戦いに際して、竹庵は、旧主である家康の恩に報いるべく、家康を総大将とする東軍に加わりました。その出陣で竹庵が旗印にしたのは、茶道具の茶筅(ちゃせん)だったといわれています。家康が会津攻めのために東へ赴いている間に、伏見城に西軍の軍勢が大挙して押し寄せました。竹庵は、家康の家臣で伏見城の城主の鳥居元忠(もとただ)らとともに伏見城に籠もります。城を守る東軍は1,800人ほどなのに対し、包囲した石田三成らの西軍は総勢約4万人の大軍でした。

しかし、伏見城は豊臣秀吉が築き上げた堅固なつくりであるうえに、竹庵ら東軍の守兵が奮戦し、攻める西軍は大軍ながら苦戦を強いられます。攻防戦は熾烈を極めましたが、西軍の城攻めに増援隊が加わり、ついに伏見城は落城します。竹庵は、敵将の鈴木重朝(しげとも)の槍にかかって討たれ、元忠らと討死しました。竹庵の亡骸(なきがら)は、元忠の亡骸とともに大阪・京橋口にさらされましたが、竹庵・元忠両人から恩顧を受けていた京都の商人、佐野四郎右衛門が盗み出し宇治の平等院に葬ったと伝えられています。

上林家、宇治代官と茶頭取をともに担う

この「伏見城の戦い」に続く関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は、全国を支配する体制を築いていきます。重要な要地は徳川幕府直轄の天領となり、宇治も天領として幕府の管下に置かれました。宇治は、陸上・水上の交通の要地であるとともに、茶師たちの町であったことがその理由でした。

上林家は、その幕府の天領となった宇治を管轄する代官に任ぜられ、以降、世襲のかたちでその役職を担っていきました。宇治代官としての上林家の役割は、幕府の年貢の収納をあずかるなどたいへん重要なものでした。また上林家は、茶師を統轄する「茶頭取」の役目も務めていました。「茶頭取(ちゃとうどり)」とは、茶師全体を束ねる重要な職務で、将軍家の御茶御用の際には、上林家の指揮のもとに宇治の茶師たちが総力をあげて御茶詰めを行いました。
江戸時代の初期には、茶師も位付けされるようになり、茶師には大きく「御物(ごもつ)御茶師」「御袋(おふくろ)御茶師」「御通(おとおり)御茶師」という3つの位がありました。「御物御茶師」とは朝廷・幕府将軍が飲む茶を調達する茶師、「御袋御茶師」とは幕府で奉納に用いる茶を調達する茶師、「御通御茶師」とは江戸城で使う雑用の茶を調達する茶師でした。この3つの位の茶師たちを「御茶師三仲ヶ間(さんなかま)」といい、茶樹を藁(わら)束や莚(むしろ)などで覆って育てる覆下(おおいした)栽培による茶葉の生産は、この御茶師三仲ヶ間のみに認められていました。そして上林家には、茶師の中の最高位である御物御茶師(ごもつおちゃし)の位が与えられていました。

家康の愛した「祖母茶(ばばちゃ)」

左:茶壺に丁寧に詰められた「祖母昔」
右:上林春松本店にいまも残る「祖母昔」

宇治の代官を務めるとともに御物御茶師(ごもつおちゃし)として活躍していた上林家が、家康とも親しく交流していたことを窺い知れる逸話があります。初代上林春松の祖母がお茶の仕立ての名人で、春松の祖母が仕立てた御茶を家康が「祖母茶(ばばちゃ)」と称してこよなく愛していました。ある時、家康は、その褒美として宇治・若森の茶園を上林家に与え、その茶園で栽培されたお茶の茶銘として「祖母昔(ばばむかし)」を与えたと伝えられています。

今も受け継がれる家康の
「祖母昔(ばばむかし)」
徳川家康の故事にちなむ茶銘「祖母昔」は、上林家だけに使用が許された由緒ある茶銘として受け継がれ、400年以上も経った今も大切に守り伝えられています。宇治産の碾茶(てんちゃ)を原料として挽き上げられた抹茶に、家康の好んだ味わいを偲ぶことができるかもしれません。

【参考文献】
『茶大百科I 歴史・文化/品質・機能性/品種/製茶』(2008年発行/農山漁村文化協会)
『宇治茶の文化史』(1993年発行/宇治文庫4・宇治市歴史資料館)
『宇治市史 2 中世の歴史と景観』(1974年発行・宇治市)
『緑茶の事典』(日本茶業中央会 監修・改訂3版・2005年発行/柴田書店)
『茶の湯の歴史 千利休まで』(熊倉功夫 著・2005年発行/朝日選書・朝日新聞出版)
『茶の文化史』(村井康彦 著・2011年発行/岩波新書・岩波書店)
宇治・上林記念館資料

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