上林春松本店の歴史

時の将軍の庇護を受けた御茶師上林春松家時の将軍の庇護を受けた御茶師上林春松家

十三世紀初頭、栂尾高山寺の僧 明恵高弁によって、宇治に茶園を開いたことが、宇治茶の始まりと言われています。室町時代、足利三代将軍義満公は、「宇治七茗園」と呼ばれる茶園を宇治の地に作り、その庇護のもと、宇治茶は発展していきました。

宇治茶の名声が流布した十四世紀後半頃、上林家は、有力茶師「御茶師」として栄え、茶の湯の文化が大成した戦国時代以降も豊臣家や徳川家などからも重用されました。江戸時代には御茶師の中の最高位「御物茶師(ごもつちゃし)」を与えられ、宇治代官、茶頭取として宇治茶の総支配を任じられました。

お茶壷道中之図
左:豊臣秀吉肖像画(写真協力:高台寺蔵)
右:徳川家康肖像画(写真協力:大阪城天守閣蔵 )

上林春松家に今も残る茶師の独特の建築物である長屋門(宇治の文化的景観に指定)

上林春松家に今も残る茶師の独特の建築物である長屋門(宇治の文化的景観に指定)

十三世紀初頭、栂尾高山寺の僧 明恵高弁によって、宇治に茶園を開いたことが、宇治茶の始まりと言われています。室町時代、足利三代将軍義満公は、「宇治七名園」と呼ばれる茶園を宇治の地に作り、その庇護のもと、宇治茶は発展していきました。

宇治茶の名声が流布した十四世紀後半頃、上林家は、有力茶師「御茶師」として栄え、茶の湯の文化が大成した戦国時代以降も豊臣家や徳川家などからも重用されました。江戸時代には御茶師の中の最高位「御物茶師(ごもつちゃし)」を与えられ、宇治代官、茶頭取として宇治茶の総支配を任じられました。

お茶壷道中之図
左:豊臣秀吉肖像画(写真協力:高台寺蔵)
右:徳川家康肖像画(写真協力:大阪城天守閣蔵 )

伝統と革新で時代を切り開く

幕府が消滅した明治維新以降、廃業の危機を迎える茶師が多かった中、上林春松本店は、それまで将軍や大名など一部の層の楽しみとして培われてきた「抹茶」による茶の湯文化にとらわれず、当時新開発であった「玉露」を扱い、将軍家や大名に代わる新しいお茶の愛飲者を得て、廃業/在続の危機をのりこえてきました。現在、「上林春松本店」は宇治御茶師の末裔として、十四代上林春松のもと、これまで培われてきた経験と伝統の精神を今に受け継ぐと同時に、革新的な手法を積極的に取り入れ、宇治茶、そして日本の茶文化の発展に寄与しています。

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